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美浜町 50周年
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50周年を迎えるにあたり



 昭和29年10月1日、三尾村、和田村、松原村が合併し「美浜町」が誕生してから半世紀が経ちました。
 戦後の復興から、経済の安定期、高度経済成長やバブル経済の崩壊などがさまざまな時代を乗り越えて50年という歳月が経った訳です。
 この間、町の発展のためにご尽力されたすべての住民の方々に感謝し、御礼を申し上げます。
 「地方の時代」と言われて久しくなりますが、国の三位一体改革の流れの中で、今また地方自治体を取り巻く環境はますます厳しさを増しています。
 一方で介護保険制度や地球温暖化対策、ITの推進などに代表されるように、50年前にはなかった新しい行政課題がどんどん増えているのが現状であり、徹底した事務の見直しと、効率化でこれらの課題に取り組まなければなりません。
 今あらためて、先人の残した50年の足跡をしっかり見つめ直し、町の第4次長期総合計画のキャッチフレーズでもある「新時代のふるさと 美浜」の更なる発展を目指して、今後も住民の皆様と共に歩んでいきたいと思いますので、なお一層のご協力をお願い申し上げます。
入江 勉 町長
町長サイン


美浜町の誕生


 新憲法の精神に則り、戦前の中央集権的なものから、戦後の諸改革によって地方自治が充実したが、反面それらの運営や施設に必要な費用、また制度の不備なども手伝って年々地方財政が圧迫されるようになり、戦前の自治体規模では1人立ちできるには規模、能力ともに小さかった。
 昭和28年9月町村合併促進法が3カ年の時限立法として制定され、政府は町村の規模の適正化を図り、人口8,000人未満の小規模自治体を合併し、町村数を約3分の一とする町村合併促進基本計画を決定した。
 その当時、日高郡内には3町32村が存在したが、昭和32年8月までに現在の市町村の形にまでなっている。
 戦前から、旧御坊町を中心に幾度となく合併問題は持ち出されていたが、昭和28年に有田日高地方を中心に記録的な大災害をもたらした7.18水害を機に合併問題は一気に現実味あるものへと押し上げられ、和歌山県は昭和28年12月に県町村合併促進審議会を発足させ、町村合併への指導力を強めた。
 昭和29年2月14日には御坊町の呼びかけで御坊町外14カ村合併懇談会が開かれ、日高平野内町村の大同合併による市制構想が持ち出された。
 結局御坊町との合併は6か町村にとどまり、昭和29年4月1日に今の御坊市が誕生した。
 松原、和田、三尾においても、御坊町などとの合併による市制案、内原村・志賀村・比井崎村との6村合併案などが出されたが、中学校を共有し、煙樹海岸で結ばれた人的、地理的に密接なつながりをもつ3村合併へと傾き、昭和29年5月17日、旧松原村役場で開かれた協議会以降協議が重ねられ、第5回の協議会で合併が確認され、第6回目の協議会で町の名前を一般公募による「美浜町」とするとこが決まると共に、合併に関する覚書が交わされた。役場 旧庁舎
 ほかに「三浜」、「大浜」、「松洋」というような名前も候補にあがっていたようである。
 この覚書を受けて、昭和29年10月1日、8,667人の美浜町が誕生し、今日まで50年を経過した次第である。 (美浜町史より引用)
【役場 旧庁舎】


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